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心は傷つかない、傷ついているのはプライド

よく聞く「〇〇のせいで心が傷ついた」は間違い。
では何が傷つくのか?
それは自分の「プライド」が傷ついている。
自分の余計なプライドが高ければ高いほど、簡単に傷つく。
人間誰でも持っている「高慢」これが邪魔をして、人の話を聞くことができなくなる。
人からの忠告や注意、指示、教えに素直に聞くことができず、攻撃された、傷つけられたと感じてしまう。
これを「心」が傷つけられたと勘違いしている。
実際はプライドが傷ついているだけ。
しかもプライドの持ち方が間違っているから傷つけられたと思ってしまう。
自分の肩書や見栄に変なプライドを持ち、張りぼてなのに何でも知っているかの如く威張り散らしている「高慢」があるから傷つく。
プライドは価値観に持つ
自分の在り方、どうあるべきかを素直になって人から聞いてみる。色々な事に興味を持ち、向上心を持つ。常に自分の在り方を自問自答する。
価値観にプライドを持てば傷つくことはない。
大切なのは「素直になって」人に聞けるかどうか、人の話に耳を傾けることができるか。人の話に耳を傾けることができれば、何を言われても傷つくことはない。
素直に人の話を聞き、自分に届いていていないことがあったら改善し、悪いところがあったら謝って反省する。
これができれば、傷つかないどころか、大きく成長することができる。
とは言っても、いきなりは難しい。
まずは、「傷ついた」と感じた時、その場で難しければ時間を置いてからでもいいので、自分の行動を振り返ってみる。
間違ったプライドを持っていなかったかを反省する。
そして「ありがとう」と声に出して言う。
相手に伝えることができれば最高ですが、はじめ難しければ一人の時でも大丈夫。
心からの感謝ではなくても、言葉だけでも感謝できれば、心は後からついてくる。
素直な心
感謝の心
低い心
を作っていきたい。

人は責めない、でも自分はさせて頂く

人を変えることはできない。
この世界で変えられることのできるのは自分だけ。
何人かの人が集まって何かをするとき、
一人前するのがやっとの人もいる
一人前の事もせずに人に頼む人もいる
そして
自分の分と頼まれた分、二人分、三人分とする人もいる
この時、人を見てしまうと不足に思ってしまう。
「自分があの人の分もこの人の分も、人より多く仕事をしているのに、あの人もこの人ものらりくらりと一人前の仕事もできていない。なんで自分だけ多くしなければいけないんだ」
と人を責める心となり、時には言葉に出して責めてしまいます。
また、一人前している人に対しても、「なんであの人より多く仕事しているのに手伝ってくれないんだ」と目が向いてしまう。
これでは、せっかく人の分もさせて頂いているのに、仕事も雑になり自分の実にならない。
でもこの時、自分に、自分の未来に見ると成長しかありません。
人の二倍、三倍と仕事をする。それだけでも仕事を処理する能力が人より成長するのは言うまでもない。
それだけでなく、周りからの評価が大きく上がる。
それも当然で、自分の仕事はもちろん、それ以上の仕事をこなし、人に頼まれた分もこなす。これなら確実に評価されます。
「あの人に頼めば間違いない」
と成長+信頼まで得られます。
この頼まれたときに、笑顔を添えて受けた時には、評価は爆上がり間違いなし。
一人前の仕事をする人は、一人前の仕事の種を蒔く
一人前の仕事もせずに人に頼む人は、一人前未満の仕事の種を蒔く
二人前、三人前の仕事する人は、二人前、三人前の仕事の種を蒔く
芽が出るのはもちろん、一人前なら一人前の芽が出て、一人間未満なら一人前未満の芽が出る。そして二人前、三人前なら二人前、三人前の芽が出てくる。
自分の蒔いた種以下しか芽が出ないことはあっても、種以上の芽が出ることはない。
そして蒔いた種以下の芽しか出ない時とは、
「人を見て不足に思う」時。不足に思って、せっかく蒔いた種を腐らせてしまった時。
どんな種も腐ってしまえばもう芽が出ない。それではもったいない。
だから、
人は見ない。でも自分はさせて頂く。感謝の心を持って。

前向きは性格じゃない

前向きな発言をする人は、元からの性格とかではない。
自分の言葉で周りの人たちを、また自分自身を前向きにしていくために努力している人。
「明るく行こう、元気に行こう」という人は、自分を明るく、元気にしたいから言う人。
元から明るい、元気な性格の人はわざわざ言いません。明るいし、元気だから。
以前の自分は前向きな発言をする人をみて、
「前向きな性格の人はいいな」
と羨んでいました。
そんな人の言葉を聞いても、「あの人だからできるんだ、ネガティブな自分にはできない」と
その人の努力を見ることなく、あの人は元から前向きだから、自分と違う、と言い訳ばかりして、変わろうと努力をすることから逃げていました。
そう、言い訳です。やらなくていい言い訳を考えて自分自身を納得させていたのです。
しかし、「前向きは性格ではなく思考」という事を知り、少しずつ変わることができました。
人は言葉によって考え、その言葉の影響を受けます。そして身近な人の言葉こそ強く影響を受けるのです。
一番身近な存在、それは言うまでもありませんが、自分自信です。
自分が発する言葉が一番自分に影響を与えます。
自分がネガティブな言葉を発していればネガティブな性格に
自分がポジティブな言葉を発していればポジティブな性格に
なります。
たまに、
「人生なんて絶対に思った通りになんていかない。」
と言っている人を見かけます。というか私自身がよく言っていました。
もちろん思い通りにいっていませんでした。
なぜなら「思い通りにいかない」と言葉で考え、そう思い込んでいたから。
先ほども言いましたが、自分の発する言葉、考える言葉が一番影響を受けます。
「思い通りにいかない」と考え、言葉に出していたから、その通りに現れてくるのです。
なんだかこじつけのように聞こえますが、実際にネガティブな言葉を発している人で成功している人を見たことがありません。成功している人は例外なくポジティブに考え、ポジティブな言葉を使っています。
じゃあどうするのか。
簡単です。
ポジティブな言葉、前向きな言葉で考え、
ポジティブな言葉、前向きな言葉を発する。
これだけで、前向きな性格、前向きな人生に好転していきます。
人間の脳はあまり器用ではありません。複数の事を同時に考えるのは苦手です。
それなら、ポジティブな言葉、前向きな言葉で考えている時に、同時に反対のネガティブな言葉、後ろ向きの言葉は出てきません。
一度やってみてください。
有難いなあ、結構だなと感謝することを想像し「ありがとう、感謝します、自分はついてる」と言葉を出して、最高の笑顔で、嫌な事を考える。
かなり難しいと思います。
というか、おそらくできた人は、有難い事、結構な事を想像できていないと思います。
例えばディズニーランドで恋人と楽しく過ごしている、会話も弾み二人とも最高の笑顔ではしゃいでじゃれあっている。
この時この二人の頭の中は、嫌な事、辛い事、まして分かれてしまう悲しい未来を考えているでしょうか。絶対にありえないと思います。
頭の中は楽しい事、嬉しい事、ポジティブな考えで埋め尽くされていると思います。

「それは楽しい事をしているんだから、思考も言葉も楽しい物になるんじゃないか」
という人もいるかもしれません。以前の私なら絶対にそう思いました。
しかしそれは逆です。
行動(現実)が先で、言葉(心)が後ではありません。
「言葉(心が)が先で、行動(現実)が後」です。
では、先ほどのディズニーランドの話で、
分かれる寸前の二人、相手の嫌な事ばかり見えて常にイライラしていて、仕事もうまく行かず人間関係に悩み、相手を傷つける言葉ばかりを言っている。
楽しいでしょうか?絶対に楽しくないです。
同じ「恋人とディズニーランドで遊ぶ」という現実、違うのは心です。
同じ現実でも、心の在り方で受け止め方が全く違ってきます。
つまり、ポジティブな思考で、ポジティブな言葉を発していれば現実も良い方向へむかっていくのです。
楽しい事、嬉しい事があるから楽しい、嬉しい
ではなく
楽しい、嬉しいと思えるから楽しく事、嬉しい事と受け止めることができるのです。
性格を変える、と言われると、難しいと感じるかもしれませんが、
言葉を変える、と言われると、簡単だと感じると思います。
ただ、自分の発する言葉を前向きに、ポジティブに変えるだけで、人生が驚くほど良い方向へ好転してゆきます。そして、それだけでなく、周りの人も自分の発する前向きな言葉で、一緒に幸せにしていくことができるのです。

見方、聞き方、言い方

すべてを生かして見て
すべてを生かして聞いて
すべてを生かすために言う
これが、すべて相手の幸せとなり、同時に自分の幸せともなる。
見方、聞き方、言い方、すべて自分の心通りに現れてくる。
見方、聞き方は自分の受け取り方次第、心次第。同じ出来事でも心の状態で変わってくる。
では言い方は、相手の受け取り方次第、心次第。どんなに綺麗な言葉、相手を褒め称える言葉を出しても、相手の気分を悪くしてしまう時がある。それは相手の心の状態が悪いから…
ではなく、自分の心が届いていないから。
すべてを生かすために言うのだから、自分の心からの言葉じゃないと相手には伝わらない。口先だけの言葉では伝わらない。
どんな時でも、
長所は相手の行為の中に見つけて、短所は自分の中に見つける。
相手の時間を頂いて、話をさせて頂いたことを感謝して、伝わらなかったのは、自分が心から思ったことを言葉にしてなかったから。
つまり心が届いていないから。
それを反省して、自分の心磨きに専念する。
間違っても相手のせいにして、責めたり、陰口を言ったり、切ったりしない。
何を見ても、何を聞いても、感謝できること、喜べることを探し、自分の心を磨いて言葉に自分の心近付けてゆく。

人は変えられない

この世界で変えられるのは自分だけ。自分の以外の人を変えることはできない。
大切なのは、
「人は責めない。でも自分はさせて頂く。」という事。
何かのきっかけで自分を変えようと努力し始めると、必ず目についてしまう、
努力しない人!
そのことに腹を立てて、「変わるための努力をしろ」とその人を責めてしまう、その人を変えようとしてしまう。
そう、無駄な努力を。
人を変える力があると便利ですね。
「あなたは私を好きになりなさい」と人を変えることが出来たら…
とんでもない世の中になってしまいます。
もちろんそんなことはできませんし「人を変える」なんてとても思い上がった、高慢な考え方だと思います。
しかし、その出来ないことをやろうと躍起になってしまうのです。
自分が出来ていて、人が出来ていないことがあると、許せなくてその人にも自分と同じことを要求してしまう。
そして人から同じことをされると腹を立てて反抗してしまう。
誰でも経験したことがあるのではないかと思います。
ではどうするのか?
この世界のルールは3つです。
・人には不満を抱かない
・人に文句を言わない
そして
・人を切らない
です。
変わろうとしたのは自分の都合です。努力してできるようになっても、できない人に不満を抱かない、できない人の文句を言わない。
自分が変わるためにできる事を、目の前の事にただただ一生懸命取り組む。
一生懸命取り組んでいれば、周りは見えません。
できない人が見えているのは、自分が一生懸命に取り組んでいない証拠。
人を気にすることなく、自分にできることを最大限努力していく。
そしてもし、自分のその姿を見て共感してくれた仲間が現れたり、変わらないと不満を持っていた相手が「自分も変わりたい」と言ってきたりしたら、その時は大歓迎で一緒に進んで行けたらいいと思います。
まずは自分ができることを一生懸命に取り組んでゆく。
そして共感してくれた仲間が集まってきたら、切るのではなく、一緒に進んで行く。
自分が本気で変われば、周りの環境も人も変わっていく。
今は目の前に現れてくることを、選りすぐりせずに、ただただ感謝して一生懸命に取り組んでいきたいと思います。

「得意」は「傲慢」になりやすい

人には得意なことと不得意な事がある。
料理が得意でも、計算が苦手。計算は得意でも文章を作るのが苦手。スポーツ万能でも家事全般は苦手。整理整頓が得意でも料理は苦手…例えを上げ出すとキリが無いほどあります。
自分の得意な分野を仕事にして、成果を上げていく。
仕事場でも、自分の得意なことは人から頼られる。
しかし、ここで気を付けたいのが、
「得意なことは高慢になりやすい」
という事です。
得意なことは人より上手にできる事が多いでしょう。
だから人から頼られたり、お願いされたり…
人から立てられるようになります。
そのことに調子に乗って天狗になったり、恩着せがましくなったりしてしまうと、それがエスカレートして相手を不快にさせてしまう場合があります。
するとお願いされることが減り、自分の得意が武器にならず、使ってもらえなくなる。
私の失敗談
私も料理が得意で、仕事場でも料理の手伝い等を率先してやっていました。はじめは役に立てることが嬉しくて「させて頂いていた」のに、いつしか「自分は料理がうまくて頼りにされている。料理できる私SUGEEEEEE!」と勘違いして、高慢になっていました。
また、料理の知識もあるもですから、人のやり方に口を出したり、上から間違いを指摘したり、「そんなことも知らないのか」と言ったバカにした態度になっていたのです。
すると段々と料理の時に呼ばれることも無くなっていき、ついには手を出さないようにと言われてしまいました。

料理の時には自慢げに指示や指摘を行い、
「俺が俺が」と調子に乗って
「してあげている」に変わっていたのです。
これでは周りの人はいい迷惑、手伝って貰いたく無くなるのも当然です。

「させて頂く」謙虚な心
やはり得意な事こそ、「させて頂く」という謙虚な心、感謝の心で取り組む。
そして、不得意な事こそ、勉強の為と思って、率先してさせて頂く。
すると当然一人で実行するのは難しいので、教えて貰うという姿勢、低い心で取り組むことができます。
その素直な心が自分の成長に大きく繋がっていくのではないかと思います。
感謝の心と素直な心で通らせて頂く事が大切。

蒔いた種はどんな種でも生えてくる

どんな種も蒔けば必ず生えてきます。

人の行動も、
良い事をすれば、良い結果が現れて来る、
悪い事をすれば、悪い結果が現れて来る。

目標に向かって正しい努力を続ければ、成功として、
または自分の成長という良い結果が返ってくるのです。

しかし、なぜか悪い事をしていなくても悪い結果は起こってくる時があります。
理由もわからないが、何かうまく行かない、行き詰る、悪い事が重なる…

それは雑草が生えてくるのと同じ。

野菜を作るときの種まき。
大根が欲しいなら大根の種を、
人参が欲しいなら人参の種を蒔きます。

水をやり、肥料をやり、色々な世話をする中で、
とっても大変ですが、とっても大切なことが

草むしり

作物に与えたい大切な養分を雑草に取られないように、雑草を抜いていく。

しかし、ここで不思議なのは
だれも「雑草の種」は蒔いていない
という事。

種を蒔けば必ず生えてくるが、雑草の種を蒔く人はいない。
それでも雑草はどこにでも、いつでも生えてくる。
そして邪魔になるので抜いたり、刈ったりしないといけない。

雑草は種を蒔かなくても、勝手に広がり成長していく。
自分で蒔いた記憶はなくても、勝手に蒔かれている。

これがうまく行かない理由と同じだと思うのです。

その時の心の状態はどうなっている?

自分で悪い事をした覚えがなくても、悪い事が起こってくる。
しかし、本当にしていないだろうか?
いや、思っていないだろうか?
目標の為に、辛い努力をする。人の為に良い行いをする。
はたから見れば、なるほど頑張っているなと見える。
しかし、その時の心はどうだろう。
人の心の中は見ることができない。

どんなに正しい努力をしていても、どんなに人の為になる良い行いをしていたとしても、心の中で
「面倒くさいなあ、辛いなあ、嫌だなあ」
と思っていたら、返ってくる結果は悪い物になるのではないでしょうか。

つまり、心が種。

実際の行動ももちろん大事です。
しかし、それ以上に実行しているときの心の状態がもっと大事なのだと思います。
仕事や勉強を、「嫌だなあ」と思ってやっていたら、結果は良い物にはならない。

せっかくの「努力」が不満の行動に変わってしまう。

それなら、勉強するときも、仕事をするときも「有難いなあ」と感謝の心で実行できたら、返ってくる結果は良い物に変わると思います。
そしてゆくゆくは、どんなことにも「有難いなあ」と感謝の心で実行できたら、
それこそ、ご飯を食べられる、体が動く、無事に目が覚める事に感謝できたら、
どんなことも良い方向へ進んでゆけるのではないでしょうか。
どんなことも、感謝の心でさせて頂く。
まずは「ありがとう」の言葉から口に出していきたいと思います。

大切にすれば、大切にしてもらえる

大切にすれば、大切にしてもらえる
令和2年は「目に見えないもの」によって、世界中が大混乱になり、不安になり、悩まされた一年だったと思います。
この世界は自分の「心」通りに現れてきます。
そして「心」は「言葉」によって作られます。
「心」も、「言葉」も目に見えないもの。
この目に見えない心と言葉を大切にしてきたかと振り返ると、少し疑問が残ります。
私は軽はずみな言葉で失敗することが多く、相手を傷つけたり、困らせたりしてしまいます。
深く考えずポロっと出てしまう言葉、その場のノリで相手に合わせて言ってしまう言葉、そして失敗したときにパッと出てしまう言い訳の言葉。どれも「考えて出た言葉」ではなく、「感じて出た言葉」です。つまり普段から、心も言葉も大切にできていないから出てしまう言葉ではないか?
普段から、心と言葉を大切に、感謝して使っていたら、考えなくてもパッと感謝の言葉が出てくるのではないかと思うのです。
では、心と言葉を大切にするにはどうするか。
やはり、「感謝の言葉」を使っていくのが一番だと思います。
「ありがとう」と「お陰様」は魔法の言葉。
相手だけでなく、自分まで幸せにしてくれる言葉です。
目に見えないものに悩まされている今、私自身が目に見えないものを大切にしてきたかを振り返る絶好の機会を与えて頂いたと捉えて、感謝して使っていけるように心がけたいと思います。

麻と絹と木綿

絹は上品で見栄えが良く、高額だが誰でも欲しい物。しかしちょっと古くなるとどうにもならない。もう使うことができない。
麻は
木綿は誰でも使っている物。ありきたりの物だが、これほど使い勝手の良い物はない。服にしたら、冬は暖かく、夏は汗をよく吸い取る。汚れても気軽に洗えて、着られなくなっても、雑巾にして、形が無くなるまで使うことができる。
心も木綿のようでありたい。
見栄えにこだわらず、誰からも使ってもらえる、重宝される心を作ってゆきたい。
使いにくい道具なら、一度二度ほど使って、
「やっぱり使いにくい」と見向きをされなくなったり、捨てられてしまったりする。
しかし使いやすい道具なら、いつまでも大切に使って、壊れてもなんとか修理して使おうとする。
これと同じで、木綿の心のように重宝される心なら、誰にでも大切にされていつまでも使ってもらえる。

素直な心

画家のピカソが晩年に残した言葉。
「先人たちが残した様々な技法は10代でマスターした。しかしこの歳になって、ようやく子供のような絵が描けるようになった」
絵画についてあまり詳しくはありませんが、「キュビズム」という技法を確立した第一人者。失礼な話ですが、子供の落書きのような絵という感想を持っていました。
しかしピカソの描いた絵はとても高い評価を得ていて、とてつもない金額が付いています。
その絵をピカソが「子供のような絵」と評してします。
そして、
「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」
とも言っています。
私はこの言葉を聞いて、思ったのは、心も同じではないかという事。
子供心の素直さは本当に素晴らしい。素直に言われた通りに行動し、どんどん成長(スキルアップ)してゆく。言われたことを疑わないので、信じて行動できる。それが歳を重ねるうちに素直さが失われてゆく。
いつからややこしくしてしまったんだろう。
いつから人を、そして自分を疑うようになったんだろう。
もっと素直に行動できるようになりたい。