辛いなら休んでいい

辛いなら休んでいい

  • 辛いなら休んでいいよ。
  • 無理しないで。
  • あなたの体が一番大切。
  • 辛い環境からはすぐに逃げたほうがいいよ。

相手を気遣うとても優しい言葉。
でもなぜか罪悪感があって素直にこの優しい言葉を聴くことができない。
それは過去にこの素敵な言葉を言い訳に使ったことがあるから。
無理をするまで自分を追い込んでいないのにこの言葉を言い訳にして
「自分の体を大切にしよう」と中断する。
または、行動しないための言い訳に使う。
私がそうでした。行動しない理由、変わろうとしない理由、逃げるための口実として使っていました。
少しでも辛くなったら逃げ出し、厳しい事を言う人から距離を置き、嫌な事が起こってきたらもう行動しない。
「無理しちゃいけない、自分の体が大切。」
でも、自分でも心のどこかで分かっている。それが言い訳していることを。
罪悪感が募り、行動できない自分が嫌になり、自信が持てなくなる。
まさに悪循環ですが、そこから抜け出そうとしても、また言い訳して動かない。
何度も言い訳して逃げていると、だんだん再出発するための力が多く必要になってきます。

思い立ったが吉日
この吉日を言い訳して先延ばしにすると、次に行動する時は余計に大きな力を必要とする。
そして「逃げる」を繰り返していると、自分の力が確実に小さくなっていく。
そうなると、再出発の時に大きな力を使い、継続するのに大きな力を使う。
でも自分の力は小さくなっているから、すぐに限界がやってくる。
そして、

  • ①また言い訳して逃げ出す
  • ②自分のペースをつかんでコツコツ積み上げる
  • ③限界を超えてしまい体調を崩す

だいたいこの3つに分かれる。
言い訳して逃げ出しては元通り、何も変わりません。やはり自分のペースをつかんでコツコツ積み上げる事がベスト。
たまに最初から突き抜けてぶっ飛んだスピードで成長していく人もいるが、とりあえず今それは置いておきます。
そして最後の体調を崩す。これが怖い。
体調だけでなく、心まで病んでしまう場合がある。
これは冒頭で書いた通り、自分を気遣う優しい言葉を、
言い訳として使っていたから今回もそうかもしれない。だからもっと頑張らないと。
と、素直に聴くことができずに、自分を追い込んで無理をしてしまう。
無理は「理」が「無」い。
理とは、自分がたすかるため、変わるための筋道。
それが無いのだから、結果は良い方向には向かない。
確かに無理をすれば一時は良い方向に向かうかもしれないが、必ずどこかにしわ寄せがきて、理を添えて元に戻る。または元より悪い状態になってしまう。
これでは、せっかく変わろうと努力しているのに変わることができない。
だから「無理」は絶対にしてはいけない。
自分で、本当に限界なのか無理していないか、言い訳なのか正しく判断しないといけない。
しかし、言い訳していた期間が長いと、なかなか「限界がきている、少し休もう」と判断することができなくなる。
私も、「いや言い訳しているだけだ」と自分を責めて無理を続けて、過呼吸で倒れました。
自分のペースを把握できていなくて、無理を続けた結果だと思います。
じゃあどうするのか。
自分で、本当の限界か言い訳か判断がつかなければ危険信号だと認識することだと思います。
それは、周りの人から「大丈夫?無理してない?」と声をかけて貰った時、自分の心の中で葛藤が起こった時。
「ここで休んだら言い訳だな」
「確かに無理してたな、休もう」
どちらかが浮かんだ後に、
「いや、でも…」
と繰り返して悩んでいる時は限界を超えています。
思い切って休んだ方が良いと思います。
体と心が元気なら、いつでも再出発はできます。また変わろうと努力を始めたなら、また行動を開始するときはさほど力を必要としません。とにかく初めの一歩に莫大な力を必要とするだけです。二歩目、三歩目と進んで、少し休んでも再出発は結構容易に進めたりします。
人生は長いので大丈夫、成功できます。焦らず自分のペースを見つけて、それを守ってコツコツ積み上げていくのが一番の近道だと思います。

コメントを残す

*