癇癪は自分に起こってくる不都合を、苦しさを解消したくて起こってしまう。
赤ちゃんの時は言葉で伝えることができなくて、
お腹減った
眠たいのに寝れない
かまってほしい
オムツ変えてほしい
などなど、自分に都合の悪いことを何とかして欲しくて泣き叫び、癇癪を起します。そうすると親が食べさせてくれたり、あやしてくれたり、オムツを変えてくれたりと苦しさを取り除いてくれる。
赤ちゃんにとって癇癪は、何らかの不都合を取り除くための手段となっています。
しかし大人になるにつれて、「我慢」を覚えます。これは円滑なコミュニケーションを取るにあたってとても大切なことです。誰かに指摘されたときや、怒られたとき、マイナスの感情をそのまま相手にぶつけるのではなく、柔らかい表現を用いたり、ひとまず謝り、自分の中にいったんしまって後で反省したり。
しかし、ずっと我慢を続けられるほど人間は頑丈ではありません。また、いつも我慢をできる精神状態でもありません。自分にも都合があります。
「自分の都合なんて相手には関係ない!」
なんて声も聞こえてきそうですが、いつも笑顔で冷静に、誰に対しても態度を変えず真実の姿で接することのできる人なんていません。私の経験上ではありますが、そんな聖人君子のような人とは会ったことはありません。
感情の浮き沈みがあり、また沈みっぱなしの時もあります。そんな時に、自分に不都合なこと、苦しいことがあると我慢できなくなり「癇癪」を起こしてしまいます。
では、どうするのか?
癇癪を起してしまう前に、距離を置く。
環境が原因ならその環境から、
人が原因ならその人から、
思い切って距離を置いて冷静になるのが大切だと思います。ずっと我慢を続けて、爆発してしまったら、お互いに不幸になってしまいます。
癇癪も「苦」が無くなれば感謝になります。
一度距離を置いて、冷静になれば、言われたことを反省したり、自分の行動を振り返ったりして、「確かにそうだったなぁ」と思えるかもしれません。そうなれば、言ってくれた相手に感謝することもできると思うのです。
自分の感情が落ち込んでいるときに、無理に受け止めて何とかしようとせず、まずいったん距離を置いて、自分の感情を上げていく努力をして、冷静になることが先決。
無理な我慢はしなくていいと思います。
ありがとうございました。