いい人になんてならなくていい。まずは心穏やかになろう。

「道徳」の授業で、「みんな仲良くしましょう、困っている人がいたら助けてあげましょう」と、いい人になりましょうと教えて貰いました。もちろん間違っていません、というかとても素晴らしいことだと思います。しかし、「いい人」を目指すと、どうしても周りの目を気にしてしまいがち。すると些細なことまで気になりだして、「いい人になりたい」から、「嫌われたくない」に変わってきます。
子供のころから「いい子になりなさい」と教えられた人が、反抗期に悪い子を演じてしまうことがあります。いい子も悪い子も、常に周りの人の評価が気になり、評価されるたびに一喜一憂するので、心穏やかになれません。
ここで一番言いたいことは、
≪そんなことで自分の価値は変わらない≫
という事。周りの人の評価を上げようといい人を演じる。その行動を見て、「素晴らしいことをしているな」と良い評価する人がいる。しかし同じ行動を見て、「なんだアイツ、いい子ぶりやがって」と悪い評価をする人も居ます。
つまり人の評価は自分ではどうすることも出来ないことが多いのです。
自分では変えることが出来ないことを気にして行動していると疲れるし、他人の評価を気にして、人の期待に応えるための行動ばかりしていると、それでは他人の人生をいきてしまいます。
そうではなく、まず、「いい人」「悪い人」という価値観から離れて、自分の心を穏やかにすることを目指すのがお勧めです。そしてその為に必要なことは、心穏やかになるために「〇〇をしましょう」と積極的に何かに取り組むことではなく、逆に「〇〇をしない」という考え方。
悪いことからなるべく遠ざかっていればそれでよいのです。
ではどのようなことから離れればよいのか?
心穏やかになるために、遠ざかったほうがいい
『悪いことの十カ条』
出し惜しみ、骨惜しみの「惜しいの心遣い」
不相応にお金や物を欲しがる、またあるが上にも欲しがる「欲しいの心遣い」
自分の為に言ってくれているのに、気分を悪くして反感を持ったり陰口を言ったりする「憎いの心遣い」
わが身、我が子さえ良ければ他はどうでもよいという「かわいの心遣い」
自分の実力や徳が足りないことを棚に上げて、人を恨む「恨みの心遣い」
短気や癇癪などの「腹立ちの心遣い」
強欲や色欲などの「欲の心遣い」
人を見下したり、また目上に媚び、弱いものをいじめ、人の欠点ばかり探す「高慢の心遣い」
人を騙す「嘘の心遣い」
思ってもいないのに相手の機嫌を取るためにいい事をいう「媚びる心遣い」
惜しい、欲しい、憎い、かわい、恨み、腹立ち、欲、高慢、嘘、媚びの心遣い、
これらの心遣いからなるべく離れていればいいのです。
もちろん全く遣わないというのは無理でしょう。そんな完璧な人間はいません。だから「なるべく」離れていることが大切なのです。
心穏やかな生き方を目指すと、豊かな心でいられる時間が多くなる。そうして、この豊かな心があふれた時、自然と誰かの為にできることを探せる心の状態になると思う。
順番を間違えると自分が耐え切れなくなる。
特に否定の声は気にしない、スルーで大丈夫!

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