「私一人くらい」じゃなくて「せめて私一人だけでも」

「私一人くらい」じゃなくて「せめて私一人だけでも」
私一人くらい
〇〇しても大丈夫という自分勝手な考え。
例えば
「私一人くらいサボっても大丈夫」
「私一人くらいポイ捨てしても大丈夫」
と考える。
これはとても我儘な考えだと思います。
この考えはやがて、「あの人がしているんだから、私もしてもいいだろう」と会社の乱れ、社会の乱れの元となります。

そうじゃなくて、
せめて私一人だけでも
せめて私一人だけでも役に立てる事をしよう。
この考えが、会社を、社会を、そして自分を幸せにする考え方だと思います。
「私一人だけでも早く来て会社の掃除をしよう」
「私一人だけでも街のゴミを拾おう」
誰もしていないのになんで自分だけと、一見自分が損をしているように見えます。
また、「自分だけ良い事をするのが恥ずかしいし」と感じるかもしれません。
確かに大勢の中で、自分一人だけが行動する、良い事をするのは少し勇気が必要です。
なぜなら、世の中の常識と言うか、皆の行動は多数決で決まるからです。
例えば電車でおじいさんに席を譲る場合。
電車の席がすべて埋まっている状態で、おじいさんが乗ってきた時、
「おじいさんどうぞ」
と席を譲るのは良い事なのに、なぜか行動するのに勇気が必要です。
それは席に座っている人の方が多いから。自分一人だけが違う事をするので、勇気が必要になるのです。
では逆に、同じ状況、
電車の席がすべて埋まっている状態で、おじいさんが乗ってきた時、
全員が立って「おじいさんどうぞ!」
と声を掛けたら、自分一人だけ席に座っているのはかなり勇気が必要になると思います。
このように、行動は数が、人数が決める事がよくあります。
しかし、
電車でおじいさんに席を譲る事
街で落ちていたゴミを拾う事
会社で皆より少し早く出社して掃除をする事
これらの行動は明らかに「善」です。
誰に文句を言われる筋合いもありません。
自分が気付いたなら、そしてそれが正しいと思ったなら、他人は関係ありません。
堂々とやったら良いと思います。
ただ、自分が最初の一人だっただけです。

ファーストペンギン
という言葉があります。集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ魚を求めて飛びこむ最初の1羽のペンギンのこと。 その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦する人の事を、敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。

自分が最初の一人だっただけです。
誰かが始めなければ何も変わりません。
だったら自分が「その誰か」であってもいいと思います。
他の人が協力的じゃなくても、自分が気付いたのならそれは自分がやればいいのです。
また、「偽善」と言われるかも、思われるかもと行動するのをためらってしまう時もあります。
そんな時は「無視」で大丈夫。

偽善は善
成さぬ善より成す偽善
批判は堂々と無視していい

そこも他人は関係ありません。
初めに戻りますが、
せめて私一人だけでも
です。
批判は気にしない
そして人は責めない
でも自分はさせて頂く

電車で席を譲る
街のゴミを1つ拾う
会社の机を1日1つ拭く
「そんな小さな事!」と思われるかもしれませんが、「+1」でも成長です。
1年365日続ければ+365、10年で+3650です。
初めから完璧を、大きな事を求めると行動に移すのが難しくなりますが、小さなことから「まず行動」を心掛けたいと思います。
初動の早さが全て!まずは第一歩!
初めの一歩、飛~んだっ!

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